おはようございます。
今日は10月10日ですが、快晴に恵まれたこの3連休いかがお過ごしでしょうか。
私はといえば、土曜日に津山で一人暮らしをしている母に会いに帰った以外は、
相変わらず病院に出て仕事をしております。
さて、私は岡山に赴任するに際して西小学校の近くにあるマンションを借り、
そこで女房と一緒に住んでいます。
そこから毎日歩いて北長瀬駅近くにある岡山市民病院に通っているのですが
その途中には中仙道公園があって、つい先日までは「キンモクセイ」が咲き誇り、
素晴らしい香りを漂わせてしました。
それと先日のテレビの歌番組の中で流れていた、南こうせつとかぐや姫の「神田川」。
私はその両方、「キンモクセイ」と「神田川」にともに強い思い入れがあります。
「神田川」が大ヒットしたのは昭和48年の秋。
その当時私は東大の学生でした。
大学に入る前に浪人生活を送った新宿の下宿が「神田川」を絵に描いたような
侘しい一間の下宿でしたので、大学入学後は多くの仲間とワイワイやる賑やかな生活を
送りたいと考えて、大学に合格したら大学の寮に入ろうと思っていました。
ところがその当時はまだ学生運動の熱気が覚めやらぬ時代で、
大学構内にはまだイデ
オロギー色の強い立看板やアジ演説だけでなくゲバ棒をもったヘルメット姿の学生も
ウロチョロしていました。
大学構内にあって、交通至便の東大駒場寮(旧制1高の時代からあったこの独身寮は
その後老朽化で取り壊されて今はありません)は当時学生運動の巣窟で、
なにかと言えばすぐ動員で狩り出される。
それがイヤさに私は東大のもう1つの寮で、三鷹市下連雀にあった東大三鷹寮
(今はこの寮も老朽化のため取り壊されて国際学生村という留学生が入る寮になっています)
に入りました。
三鷹寮は、吉祥寺駅(吉祥寺も当時は今のようなジョージと若者から呼ばれるような
ハイカラな街ではありませんでした)からバスで20分ほど行ったところにある
東大農学部の農場の横にあり、当時はまだ武蔵野の面影を残す三鷹市郊外にあって、
牧歌的で広々とした、しかしおんぼろの木造の寮でした。
そこから大学に通うかたわら、女子大との合同コンパやダンスパーティやアルバイトなどで
過ごしていた10月。
夜遅く帰った私は何気なく寮の娯楽室に顔を出しました。
その時テレビの歌番組で流れていたのが、南こうせつとかぐや姫の「神田川」でした。
初めて聞く「神田川」。
それまでのフォークソングにはない、バイオリンのかなでる叙情的で哀愁を帯びた
メロディーと歌詞に一瞬魂が抜けるような深い感動を覚えました。
当時私には「神田川」に登場するような「そのやさしさが怖い」恋人などはいませんでしたが、
あの歌の中に投影されている世界のことは自分のことのようによく理解できました。
あの中に出てくる二人は、多分地方から東京に出てきて、孤独な生活を最初は強いられたのでしょう。
それが、やがて、東京のどこかで出会い結ばれて同棲
(そう言えば当時上村一夫の「同棲時代」が一世を風靡していました)。
お金が余りないから、3畳1間の部屋に二人で住んで、風呂は二人で近くの銭湯に通う。
当時の若い男性は長髪でしたから、どうしても髪を洗うのに時間をとられて
銭湯を出るのは女性より遅くなる。
その結果常に女性の方が待たされて「洗い髪が芯まで冷え」る。
やっと出てきた男性は待っていた女性の「身体を抱いて冷たいね」って言うことになるわけです。
東京出身の方にもあの「神田川」の素晴らしさは分かると思いますが、
地方出身で東京暮らしの深い孤独な生活を、それも余りお金に縁のない暮らしを
経験した方の方が、あそこに描かれた世界に、より深い共感を覚えるのではないでしょうか。
3畳1間の下宿、銭湯、長髪、地方から東京に出てきて経験した深い孤独、
そしてそれゆえにこそ求める人との暖かい触れ合い。
そうした中で愛する人とめぐり合い、一緒に暮らし始めたときにその人の「やさしさ
だけが怖かった」のはけだし当然でしょう。
そして当時、愛する人とのめぐり合い以外はそうしたことを全て実感として経験していた私が、
この歌を初めて耳にした時、深い感動と共感を覚えたのもまた当然でしょ
う。
「神田川」の曲が静かに流れる夜の寮の娯楽室の窓の外には、
室内の蛍光灯の光に照らされた「キンモクセイ」の木が
今を盛りと一杯に黄金色の花を咲かせていて、
あたり一杯に強い芳香を漂わせていて、
曲の余りの感動的な調べと花の甘い香りに
私はしばし呆然として立ちすくんでいました。
それが私が10月の季節、「神田川」と「キンモクセイ」に強く惹かれる理由です。
貴方は10月に何を思われるでしょうか。
それではまた。

