【72歳の誕生日】



おはようございます。
日本病院経営支援機構の豊岡です。
いつもお世話になっております。

昨日(11/26)の横浜は最高気温が10度を切り、底冷えがする寒さでしたが、
皆様のところではいかがだったでしょうか。
さて、先週金曜日の11月24日(金)は私の72歳の誕生日でした。

もっとも当の本人の私は、その日も朝から仕事でまったくそのことを忘れていて、
女房から「72歳の誕生日おめでとう」と
言われ、「これを貴方に預かっています」と
息子から私への誕生日のプレゼンㇳを渡されて、
初めてそれと気が付きました。

「誕生日を迎えること」が嬉しかったのは、
せいぜい十代までだったように思います。 

 それ以降は「加齢」という、どちらかと言うとマイナスのイメージで

受け止めてきたように思いますが、それにしても72歳と言えば、
昔の童謡の「船頭さん(1941年発表・竹内俊子作詞・川村光陽作曲)」の歌の中で、
「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん」と、
高齢者扱いされている60歳を、更に一回り上回る年齢です。

しかし、傍からは、白髪と皺が増え、キビキビした行動ができなくなって
歳をとったように見えるかもしれませんが、それは外見だけのことで、
多分、今の世の中の他の同輩・先輩の諸姉兄同様、
私にもさらさら「歳をとった。高齢者になった」という実感は
ありません。

小学校・中学校・高校・大学・社会人と歩んできてその先に自然に
72歳になった今の自分がいるといった感じで、意識自体は昔と
大して変わっていないのです。
それが証拠に、出掛ける先で、通学の中高校生によく出会いますが、
姿形さえ元に戻れば、そして彼らが受け入れてくれれば、即、
半世紀以上前の昔に戻って「やあやあ」と言いながらすぐその中に
入っていけそうな気がします。

そこで「今、72歳になってもこのように余り歳をとったという
感じがしない」のは何故だろうと、以下その理由について
考えてみました。


1.健康であること

まず、「今もそこそこ健康である」ということがその筆頭に上げられます。
成人病予備軍で2ヶ月に一度薬をもらいに病院に通っていますが、
それ以外はお医者さんのお世話になっていません。


2.女房の存在

次に傍らにいて、モノグサの私を、それこそ痒いところに手が届くように
世話をしてくれる相性のよい女房の存在が上げられます。
おまけに女房は、小学校1年の時の同級生ですから、
その時から私と時間を共有してきており、その結果、
二人の間の時間は昔のままで、その歩みはずっと止まったままです。
毎日の生活の中で、時間の経過をほとんど感じずに済んでいると
いうことも大きいのだろうと思います。


3.仕事の存在

それに加えて、今も現役で仕事をしているということが上げられます。
特に4年前に、友人の協力を得て、脱サラして日本病院経営支援機構を
起業したことが大きかったと思っています。
「機構」は極細零細企業ですから、その運営は大変ですが、 

宮仕えではなく、世の中で自分が必要だと感じ、やりたいと思うことが
できている今の環境は幸福だと感じています。

今の私の仕事は、その「機構」を舞台に、全国の病院を対象とした、
(1) 「病院経営者育成塾」での、病院を支える各職種の経営幹部職員の教育・育成と
(2) 「病院経営コンサルタント」としての、各病院の経営改善・再建です。

そのうち(1)の「病院経営者育成塾」は、当初「事務長育成塾」
のみでスタートしましたが、今では「その道のプロ」の多くの
講師の方の協力を得て、「病院長育成塾」「看護部長育成塾」
「薬局長育成塾」「放射線科技師長育成塾」も含めた5職種・5育成塾まで、
その領域が拡がっています。

また(2)の「病院コンサルタント」は、病院の経営改善・再建に関して
「アドバイスだけ」やる普通のコンサルタントからスタートしましたが、
今は、やはり「その道のプロ」の委託会社の協力を得て、
「その病院が希望すれば、結果を出すまで責任を持って実行・進捗管理を請け負う」
という、今の日本では例のないコンサルタントのスタイルに移行しつつあります。

このように私の仕事は、毎年確実に進化していっています。

また、一般的に、仕事をやる目的は
(1) 生きていくためのお金を稼ぐこと
(2) 自己実現をすること
(3) 他の人を幸せにすること
の3つで、このうち最も得難いのは「(3)の他の人を幸せにすること」、
つまり、「世の為・人の為になっていると感じられること」
とですが、今の私は、企業人時代には感じることができなかった
それを、仕事の中で実感することができています。

加えて、今の仕事は、かつての企業やその後の各病院での仕事の延長線上にあり、
過去、私が経験してきた全てのことが役に立っている、
いわば「私のこれまでの仕事人生の集大成であり、最高の到達点でもある」
と感じています。

このような仕事に今従事できていることが、自分が歳をとったとは感じない
最大の理由なのかと思います。

私は昔から仕事人間で、大した趣味はなく、またボランティアや
社会活動にも興味はありませんので、この先どこまで行けるのか分かりませんが、
(1) 健康と体力が許し、意欲が続く限り、
(2) また自分の仕事が世の為人の為になっている、必要とされ
ていると感じている限り、
(3) 今の仕事を続け、更に充実・進化させていきたい
と考えています。

以上、72回目の誕生日を迎えてこれまでの人生を振り返り、
今の自分の心境を率直に述べてみました。

今後ともよろしくお願い致します。
それではまた。


<参考1> 「船頭さん」の歌
(1941年発表・竹内俊子作詞・川村光陽作曲)

1. 村の渡しの 船頭さんは
今年六十の お爺さん
年はとっても お船をこぐ時は
元気いっぱい 櫓がしなる ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

2. 雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて船こぐ お爺さん
今朝もかわいい 仔馬を二匹
向う牧場へ 乗せてった
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

3. 川はきらきら さざなみ小波
渡すにこにこ お爺さん
みんなにこにこ ゆれゆれ渡る
どうも御苦労さんと いって渡る
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

 

<参考>

作詞した竹内俊子は幼い頃、広島県三原市の実家の

近くにある沼田川によく泳ぎに行っていた。当時、

沼田川には渡し舟があり、それが「船頭さん」の

歌詞のモデルとなったとされている。

写真/出典:Wikipedia




ページトップへ

                                     
一般社団法人 日本病院経営支援機構