【案山子】



おはようございます。


今日は3連休の3日目ですが、いかがお過ごしでしょうか?


さて、シンガーソングライターのさだまさしさんの名曲の1つ

「案山子」は、


「元気でいるか。街には慣れたか。友達出来たか。

 寂しかないか。お金はあるか。今度いつ帰る」


という歌い出しで始まります。


またこの歌は、


「都会で一人暮らしをする弟を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、

故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌」


とされています。


しかし私は、最近になってそのことを知るまで、この歌は


「郷里の家で夫婦2人暮らしをしている父親が、都会に出て

1人暮らしを始めた息子のことを心配して、呼びかけた歌」


とばかり思っていました。


何故なら半世紀前に上京して1人暮らしを始めた当時の私に親父から手紙で

言ってきたのが全く同じ言葉だったからです。


親父からの手紙の言葉はいつも、


「元気でいるか。街には慣れたか。友達出来たか。

 寂しくないか。お金はあるか。今度いつ帰る」


的な言葉で始まり、最後に


「手紙が無理なら電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい。

お前の笑顔を待ちわびる「母親」に聴かせてやってくれ」


的な言葉で終わっていました。


案山子で「おふくろ」となっているのが「母親」と

なっていた以外はそっくりです。


この案山子が発表されたのが1977年(S52年)で、

私が上京したのは1970年(S46年)でしたから、

当時の親父が「案山子」の歌詞のことなど知って

いたはずはありません。


従って、親父が書いて寄こしたこうした文章なり言葉は

「親が子供を気遣って自然に出てきた」ものだったのでしょう。


親父の手紙からは息子のことを心配し、案じる気持ちが溢れていましたが、

若くて能天気な当時の私は、そういう親父の気持ちを顧慮することなく、

両親に対して、手紙を書くことはおろか電話さえ碌にしませんでした。


その親父は15年前に亡くなり、母も今は岡山市にある特養に移ってそこを

「終の棲家」とするようになりましたので、岡山県津山市にある家には

今誰も住んでいません。


それでも、両親との思い出の詰まったその家を処分するのは忍び難くて、

「せめて母が健在な間は維持しよう」と、今、3ヶ月に1回の頻度で、

横浜から津山まで、毎回「家に風を入れ」に通っています。


上京してから半世紀が経過して、郷里である津山市は

多少変わりながらもそこにあり、私が育った家もそこにあります。


しかし、両親のいなくなった家からは「Home」

というイメージが失われて、

「単なる物理的な家にすぎない」

と感じるようになり、両親のいない郷里をもう

「ふるさと」とは呼べなくなりました。


「半世紀経つ」というのは「そういう変化が起こる」

ということであり、「人生を生きる」とは「そういう現実を受け入れていくこと」

と最近思っています。


それではまた。


引用:1977年「案山子」  作詞 さだまさし




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