新婚旅行先の変遷】



こんにちは。


私の知人で、愛知県の公立病院長を昨年、定年退職された先生から、


「車で南紀白浜まで夫婦で旅行しようと思っているのですが、

白浜でお薦めのホテルがあったら教えてください」


との問い合わせメールを頂戴しました。


「南紀白浜は、両親が半世紀以上前に行った新婚旅行先だが、

今年の2月にその父が亡くなった。で、それもあって、今年の早い夏休みとして、

この度南紀白浜に夫婦で行くことにした。しかし自分達はこれまで白浜に

行ったことがないので」


というのがその理由でした。


そこで私から先生宛、


「南紀白浜は国内有数の観光地だけあって、有名なホテルが沢山ありますが

私が泊まった中で一番印象に残っているホテルはコガノイベイホテル

(現「白浜古賀の井リゾート&スパ」)です。

このホテルは高級ホテルのため、ホテル代は高いですが、その分、

ホテルの窓の外、全面に拡がるオーシャンビューの景色は絶景で、

一見の価値があると思います」


との回答を差し上げたところ、先生から


「さっそくの返信ありがとうございました。良い情報を頂き感謝します。

お蔭様で、梅雨の真っ只中に白浜に行く元気が湧いてきました」


とのお礼メールが届きました。



ところで、この先生は今60歳代後半の方ですから、その亡くなられた

お父様は90才前後の方だったと思われます。


とするとお父様が「半世紀以上前に新婚旅行で南紀白浜に行かれた」のは

今から60年くらい前の1960年代。

和暦で言えば、昭和30~40年代という計算になります。


それで昭和30~40年の南紀白浜を含む「戦後の日本の新婚旅行先の変遷」

について調べてみたところ、その結果は以下の通りでした。


       【戦後の日本の新婚旅行先の変遷】


(1)戦後~高度経済成長期前(昭和20年~30年代)


   この時期は、関東では、映画「続・三丁目の夕日」の中で、六さん

   (堀北真希)が新婚旅行先に選んだ「熱海」の他、「伊豆・箱根」

   が、関西では和歌浦など、総じて温暖な温泉地が「新婚旅行のメッカ」

   でした。


(2)高度経済成長期(昭和30年~40年代)


   上記温暖な温泉地に加え、特に昭和40年代は「宮崎」が「新婚旅行

   のメッカ」となりました。

   最盛期の昭和49年には、新婚数100万組のうち37万組が宮崎

   を訪れたという記録が残っています。

   関西では宮崎同様南国情緒を売りにした「南紀白浜」も人気があった

   ようです。


(3)ポスト高度経済成長期(昭和50年~60年代)


   海外旅行の自由化(昭和39年)や円の変動相場制への移行

   (昭和48年)やジャンボジェット機導入などで海外旅行が身近な

   ものとなり、

   昭和50年代にはグァム・サイパン・ハワイ・東南アジアが、

   昭和60年代には北米や欧州なども

   新婚旅行先に加わっています。



これから考えると、先生のお父様は「昭和30~40年代に南紀白浜に新婚旅行で行かれた」

ということですから、その頃の南紀白浜は、上記「戦後の日本の新婚旅行先の変遷」の(2)にあるように、

まさに日本の高度経済成長期真っ只中の「新婚旅行のメッカ」の1つだったことになります。


ちなみに私の結婚は昭和55年で、新婚旅行先はヨーロッパでした。


上記「戦後の日本の新婚旅行先の変遷」の(3)にあるように、

欧州が新婚旅行先の1つに登場してくるのは昭和60年代ですから、

昭和55年当時はまだヨーロッパまで新婚旅行に出かける組は多くなかったと思います。


お金も時間もない中で、それでも敢えて無理をして

新婚旅行先をヨーロッパに選んだのは、

(1)どうしてもヨーロッパをこの目で一度見ておきたかったのと、

(2)「24時間働けますか」で、月月火水木金金の勤務を求められたその当時、

    「新婚旅行の機会を逃せば、この先、一生、ヨーロッパに行く機会などはないだろう」

    と思ったからです。


まさか、その7年後にエジプトに赴任し、そこで、地中海を跨いですぐの距離にあるヨーロッパに、

ほぼ毎月のように出掛けるようになるなどとは、その当時は夢にも思いませんでした。


そのことが分かっていたら、当時、もっと無理をして、ヨーロッパの代わりに

今ではまず行けないセーシャルやモルジブなどの南国の島々に行っていたでしょうに、

本当に惜しいことをしました。


それではまた。







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